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2025.01.15

バレエ『不思議の国のアリス』見どころをご紹介します

コラム

森菜穂美(舞踊評論家)

ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』は1865年に第一作が出版され、続編として1871年に『鏡の国のアリス』が刊行されました。以来、アート、音楽、ファッション、舞台などの幅広い分野のアーティストにインスピレーションを与え、今なおたくさんの人々を魅了しています。

この原作をバレエ化した英国ロイヤル・バレエの『不思議の国のアリス』は、2011年の初演の時、同バレエ団では16年ぶりの全幕新作として大きな期待を背負っていました。振付のクリストファー・ウィールドンは子どもの頃からルイス・キャロルの原作に惹きつけられていて、バレエ化をしようと考えていたものの、彼にとっては初の全幕物語バレエ作品でもあり、大きなプレッシャーも感じていました。そこで脚本家のニコラス・ライト、テレビや映画など映像作品の音楽を作曲してきたジョビー・タルボットとの1年間の共同作業により、この『不思議の国のアリス』が誕生しました。一人一人のキャラクターにモチーフを与えた、生き生きとして親しみやすいタルボットの音楽が、作品の大きな原動力となりました。

初演されるや否やそのポップで大胆かつ魅惑的な世界に観客は熱狂し、シネマでの上映も人気に拍車をかけ、共同制作に参加したカナダ国立バレエ団を始め、世界中のトップバレエ団がレパートリーに取り入れました。オーストラリア・バレエ団、ドイツのバイエルン州立バレエ団、そして日本では新国立劇場バレエ団がレパートリーとして採用し、初演から13年経っても高い人気を誇る作品となっています。ウィールドンの振付、タルボットの音楽、ボブ・クロウリーの美術というチームは、この後ロイヤル・バレエで『冬物語』『赤い薔薇ソースの伝説』という傑作を生みだしました。

 

<ロイヤル・バレエ新時代の到来を告げるセンセーショナルな傑作>

『不思議の国のアリス』は、鮮やかな色彩が躍動する舞台美術と衣裳、プロジェクションマッピング技術を駆使して次々と魔法のように繰り出される大胆なトリックや映像、現代感覚に溢れたポップな音楽、愉快なキャラクターたちに英国流のブラックユーモアをまぶした、洗練された振付による究極のエンターテインメント作品です。『パリのアメリカ人』やマイケル・ジャクソンの生涯を舞台化した『MJ』などミュージカル作品の演出・振付にも定評があってトニー賞にも輝いている才人ウィールドンならではの、ハリウッド黄金期のミュージカルを思わせるようなゴージャスでスペクタクルな群舞も登場し、客席からもダンサーたちが登場するなど、新鮮な驚きに満ちています。

 

<バレエ初心者からバレエマニア、大人から子どもまで愛される名作>

次から次へとスピーディーな場面転換がある、楽しくファンタジックな物語の基調はそのままに、原作がもつダークで諧謔的な部分も描かれている本作。エンターテインメント性が高いためバレエを観たことがない人や子どもはもちろん、奥深さもあって大人も楽しめる内容になっています。後述するように古典バレエ作品のパロディが多数含まれているので、マニアが観たら思わずニヤリとする場面もあります。初演の時には、公爵夫人役に英国最高峰のシェイクスピア役者サイモン・ラッセル・ビールが起用されるなど、ロイヤル・バレエが威信をかけて作り上げた自信作です。

 

<タップダンスを踊るマッドハッターと、恐ろしくも爆笑を誘うハートの女王など、ユニークなキャラクターが多数登場>

アリスが迷い込む不思議の国では、愉快で奇天烈なキャラクターが多数登場します。エキゾチックでセクシーなイモ虫、原作でも人気のある、バラバラになって動くチェシャ猫、三月うさぎと眠りねずみ、飛び跳ねるカエルと魚、包丁を振り回す料理女やトランプの騎士たちなど。中でも大活躍を見せるのは、鮮やかなタップダンスを踊る帽子屋マッドハッター。この役を初演したスティーヴン・マックレーが、ローザンヌ国際バレエコンクールでも披露して喝采を浴びた得意のタップダンスで魅了します。アリスの母そっくりのハートの女王は、赤いハート型の立体的なドレス状張りぼての乗り物に乗って登場し、首を跳ねようと斧を振り回す、恐ろしくも戯画化されたキャラクターです。赤い薔薇が好きな女王のために必死に白い薔薇にペンキを塗る庭師たちなど、ユーモラスなキャラクターは他にもたくさん登場します。

 

<アリスの物語を現代に置き換え、古典バレエへのオマージュあるいはパロディに笑い転げる>

本作ではアリスをティーンエイジャーの少女に設定して、彼女が恋する庭師の青年ジャックを登場させました。不思議な世界ではアリスの両親がハートの女王と王様に、ジャックはハートのジャック(騎士)、ルイス・キャロルは白うさぎと現実の人物と重ねることで、奇想天外な物語が身近に感じられるようにしました。ハートの女王の庭園で繰り広げられる「タルト・アダージオ」は『眠れる森の美女』の「ローズ・アダージオ」のパロディで、女王が4人のトランプの騎士を処刑しようと斧を振り回しながら踊る抱腹絶倒の名場面です。しかも、このハートの女王を演じるのが、2011年にアリス役を初演したローレン・カスバートソン!13年前のアリスは大人に成長すると、このハートの女王になって不思議の国を支配する存在になっていたのでした。

白うさぎが折り紙の小船に乗ってアリスを案内する場面は、『眠れる森の美女』でリラの精が王子をオーロラの元へ案内する場面の引用であり、また花たちが踊るワルツも『眠れる森の美女』や『くるみ割り人形』の花のワルツを思わせます。『くるみ割り人形』のアラビアの踊りを思わせるイモ虫の踊り、アリスとジャックのロマンティックなパ・ド・ドゥなどクラシックバレエ的な場面もたくさん登場します。ラストシーンでは彼らが現代の恋人たちとしてタイムトリップしているという設定も微笑ましい。

 

<バレエ界のスーパースターが綺羅星のように揃う>

ほとんどの場面に登場して不思議な冒険を繰り広げるアリスを生き生きと演じるのは、映画『キャッツ』で白猫ヴィクトリアを演じたことでバレエファン以外にも知られる存在となったフランチェスカ・ヘイワードです。映画版『ロミオとジュリエット』ではジュリエット役をドラマティックに演じた彼女は今回、思春期の女の子アリスを表情豊かに好演しています。ジャック役は、その『ロミオとジュリエット』でロミオ役を演じてヘイワードと息の合った演技を見せたウィリアム・ブレイスウェル。優し気で気品のある英国青年ぶりが好感度高く、そして表現力にも、パ・ド・ドゥのテクニックにも優れたところを見せています。次回のシネマで上映される『シンデレラ』では王子を演じます。

『不思議の国のアリス』が2011年に初演されたときにアリス役を可憐に演じ、DVDにも収録されたローレン・カスバートソンが今回はアリスの母/ハートの女王を演じるニュースは、驚きをもって迎えられました。イングリッシュローズのように気品あふれるカスバートソンが、恐ろしい女王をユーモアたっぷりに怪演する様子は必見です。またロイヤル・バレエのトップスターであるスティーヴン・マックレーが大怪我を乗り越え、初演したマッドハッター役に復帰し華麗なタップダンスを披露しています。アリスを不思議な世界へと案内する白うさぎ/ルイス・キャロルの二役をしなやかに飄々と演じるのは、ダンス―ルノーブルでありながら演技力にも定評のあるジェームズ・ヘイ。初演時には名優サイモン・ラッセル・ビールが存在感たっぷりに演じた公爵夫人役は、今回はロイヤル・バレエきっての演技派ギャリー・エイヴィスが怪演しています。

シネマのお楽しみである幕間のリハーサルやインタビューの映像には、主演の二人や振付のウィールドン、音楽のジョビー・タルボットや小道具係が登場します。また、初演の時にハートの女王役を演じて主役を食う怪演ぶりが話題となったゼナイダ・ヤノウスキーが、今回の女王カスバートソンとこの役について語り合う映像は、役が愛情を込めて手渡される様子が伝わって胸が熱くなります。スティーヴン・マックレーも、怪我を乗り越えて舞台に戻ってくることができた喜びを幕間の映像で熱く語っています。

 

<ロイヤル・オペラ・ハウスの興奮を映画館で>

世界を魅了した極上のエンターテインメント・バレエが、世界最高の英国ロイヤル・バレエのダンサーたちによって演じられた『不思議の国のアリス』。ワクワクの冒険と抱腹絶倒のコミカルな場面から、甘酸っぱいロマンス、ミュージカル的な華麗なダンスシーン、マジカルな特殊効果など舞台芸術の楽しさと美しさが凝縮された舞台を、ロイヤル・オペラ・ハウスの特等席で観ているような体験ができるロイヤル・バレエ&オペラのシネマシーズン。映画館でぜひお楽しみください。

2025.01.14

『不思議の国のアリス』インタビュー情報

バレエチャンネル

スティーヴン・マックレー インタビュー~靴音は、私の声。マッドハッターは喋るようにタップを踊る
https://balletchannel.jp/42772

 

Chacott

フランチェスカ・ヘイワード=インタビュー「舞台では数々のハプニングを楽しみます」
https://www.chacott-jp.com/news/worldreport/others/detail038358.html

『不思議の国のアリス』マッドハッター役スティーヴン・マックレーにきく「怪我を乗り越えた経験は演技に深みを与えた」
https://www.chacott-jp.com/news/worldreport/others/detail038357.html

2025.01.06

ロイヤル・バレエ『くるみ割り人形』タイムテーブルのご案内

項目 時間
■解説+インタビュー 14分
■第1幕 50分
休憩 10分
■第2幕、カーテンコール 53分
上映時間:2時間7分

本編中に一部音声の不具合がございます。これらは公演撮影時に生じたものとなりまして、誠に恐縮ながら、ご理解とご了承の程お願い申し上げます。

2024.12.16

ロイヤル・バレエ『不思議の国のアリス』タイムテーブルのご案内

項目 時間
■解説+インタビュー 17分
■第1幕 47分
休憩 8分
■解説+インタビュー 15分
■第2幕 29分
休憩 10分
■解説+インタビュー 15分
■第3幕、カーテンコール 54分
上映時間:3時間15分

本編中に一部音声の不具合がございます。これらは公演撮影時に生じたものとなりまして、誠に恐縮ながら、ご理解とご了承の程お願い申し上げます。

2024.11.25

オペラ『フィガロの結婚』見どころをご紹介します

コラム

永井玉藻(音楽学者)

伝統と革新、ロイヤル・バレエ&オペラの新シーズン

コヴェント・ガーデンの進化が止まらない。長年「ロイヤル・オペラ・ハウス」の名でイギリスの、いや世界のオペラとバレエ上演を牽引してきた劇場が、このたび「ロイヤル・バレエ&オペラ」と名称を変え、2024〜25年のシネマシーズンを始める。遠方のファンでも、まるで劇場内(それも特等席)にいるかのような感覚を味わえるだけでなく、関係者インタビューや稽古場での様子の紹介、SNSでのハッシュタグ付き投稿によるファン同士の交流は、映画館放映ならではの体験といえよう。劇場に来る人のみならず、全世界のファン、そしてこれからファンになる潜在的観客層をも視野に入れたシネマシーズンは、新生ロイヤル・バレエ&オペラにおいても大きな魅力の一つである。

さて、2024〜25年のシーズンには、ロイヤル・オペラの音楽監督の交代という、もう一つの新しさもある。2002年からの長期にわたってロイヤル・オペラの音楽監督を務めたアントニオ・パッパーノが昨シーズンで勇退し、代わって新音楽監督に就任したのがヤクブ・フルシャ。43歳となる彼は2018年にロイヤル・オペラでビゼーの《カルメン》を振っており、すでに数々のオペラ・ハウスでの経験を有する。新体制下のシネマシーズンの1作目は、モーツァルトの《フィガロの結婚》である。ロイヤル・オペラでは2006年からデイヴィッド・マクヴィカー演出によるプロダクションを上演しており、大好評を得てきた。今回の上演を指揮するのは、ベテラン指揮者のジュリア・ジョーンズである。

 

《フィガロ》の時代を越える人間模様と社会風刺

《フィガロの結婚》の最大の魅力は、生き生きとした人間模様によって描き出される、喜劇に見せかけた社会批判だろう。立場を利用して情事を楽しもうとする貴族を、頭の切れる床屋の家来がギャフンと言わせる、というこのオペラの物語は、現代の観客からするとコミカルに見える。しかし、この作品が上演された18世紀末は、ヨーロッパの封建的な貴族社会が危機を迎えつつあった時期だった。絶対視されていた貴族たちの立場は、揺らがないものでは決してない。実際、原作となったボーマルシェの戯曲にはたびたび上演禁止令が出ている。
この点を踏まえると、マクヴィカーがオープニングの稽古場インタビューで「歌手たちに、これは喜劇ではないと言っています」と語る理由が明確になる。作中の人物たちは、皆それぞれの欲求と感情を持ち、自分の正しさのために行動する。そのさまが真剣であればあるほど、観客として物語世界を外から眺める私たちにとっては、物語の状況が滑稽に見える。そしてその視点によって、観客を取り巻く現実社会の滑稽さに気づくのである。
だからこそ、200年前の作品だとしても、現代的な読み替えはマクヴィカーには不要だったのだろう。むしろ、歌手たちの自然な演技によって個々の人物の人間的側面が明確になり、どんな時代にも共通する人間の弱さや愚かさ、そして生きる力が、モーツァルトの音楽とともに示されていく。

 

歌手陣の活躍が光るプロダクション

今回のフィガロ役を務めるのは、イタリア出身で演劇俳優としての経験を持つバリトンのルカ・ミケレッティである。「音楽に命を吹きこむために、言葉を正しく扱う必要がある」と語るように、第1幕のカヴァティーナ「もしも踊りをなさりたければ」では、スザンナを心配しつつ伯爵の企みに憤慨するフィガロの心情を表情豊かに聴かせる。スザンナ役は当初イン・ファンの予定だったが、収録日は体調不良により降板し、若手コロラトゥーラのシボーン・スタッグが歌っている。終盤のフィガロとの騙し合いののち、伯爵夫人のふりをしてアルマヴィーヴァ伯爵をハメる際の声の切り替えも楽しい。その伯爵を演じるヒュー・モンタギュー・レンドールは、今後の活躍が大いに期待される躍進中のバリトン。他にも、伯爵夫人のマリア・ベントソンの気品溢れる歌唱、恋に恋するケルビーノ役のジンジャー・コスタ・ジャクソンが歌う「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」など、充実期にある歌手陣を中心とする公演は聴きどころも満載だ。
「モーツァルトを上手に演じるのは簡単なことではありません」とマクヴィカーは語る。しかし、その難しさに全力で挑んでいるプロダクションだからこそ、ロイヤルの《フィガロ》は、鑑賞後の観客に高い充実感をもたらしてくれるだろう。

2024.11.08

ロイヤル・オペラ『フィガロの結婚』タイムテーブルのご案内

項目 時間
■解説+インタビュー 18分
■第1幕&第2幕 103分
休憩 18分
■解説+インタビュー 13分
■第3幕&第4幕、カーテンコール 84分
上映時間:3時間56分

本編中に一部音声の不具合がございます。これらは公演撮影時に生じたものとなりまして、誠に恐縮ながら、ご理解とご了承の程お願い申し上げます。