2024.01.24
バレエ『ドン・キホーテ』見どころをご紹介します。
森菜穂美(舞踊評論家)
<世界的なスーパースターが振り付けた、生き生きとして楽しい>
ロイヤル・バレエの2023-24シネマシーズンのオープニングを飾るのは、カルロス・アコスタが振り付けた『ドン・キホーテ』です。
『ドン・キホーテ』はあらゆるクラシック・バレエ作品の中でも最も明るく楽しいラブコメディで、華やかな超絶技巧もふんだんに盛り込み、スペインの生き生きと情熱的なパワーにあふれています。バレエ初心者でも、そのパワフルさと華麗な魅力に思わず引き込まれてしまう傑作です。
バルセロナの街角を舞台にした『ドン・キホーテ』は、『白鳥の湖』他で知られる巨匠マリウス・プティパが20代の頃、マドリッド王立劇場と契約し、スペインで過ごして闘牛やキャラクターダンスに夢中になった体験が生かされています。街の踊り子、闘牛士、ファンダンゴ、ロマの踊りなど多彩なキャラクターやエキゾチックな踊りが、作品に生き生きとした魅力的な味わいを加えています。
振付のカルロス・アコスタはキューバ出身で、1990年にローザンヌ国際バレエコンクールでゴールドメダルを受賞後98年にロイヤル・バレエに入団。ローレンス・オリヴィエ賞を受賞し、ボリショイ・バレエにも客演するなど国際的なスターダンサーとして活躍し、2013年の『ドン・キホーテ』初演では自ら主人公バジル役を演じました。ロイヤル・バレエでの引退公演は映画館で中継されました。現在はバーミンガム・ロイヤル・バレエの芸術監督を務めながら、故国キューバでも自身のカンパニー、アコスタ・ダンサを率いています。
そして、本作がアコスタにとって初のロイヤル・バレエの振付作品となりました。彼にとって重要なのは、登場人物たちの個性であり、バレエのステロタイプに囚われず一人一人が生身の血の通った人間として描かれています。そのため、この『ドン・キホーテ』では登場人物たちが台詞を叫ぶ場面があり、ダンサーたちは床の上だけでなく、テーブルやワゴンの上でも踊ります。また、一般的な『ドン・キホーテ』のバレエにある人形劇の場面をカットし、代わりにロマの野営地では、舞台上でラテン音楽のミュージシャンが生演奏するキャンプファイヤーの場面を加えました。ストリート・キッズが広場を駆け回るのもこの版ならではの楽しさです。なお、アコスタがこの版に手を加えた『ドン・キホーテ』をバーミンガム・ロイヤル・バレエで上演しているのですが、こちらでは男性ダンサーがキューピッドを演じています。
舞台美術を担当したのは、ナショナルシアターやウェストエンドで活躍しているティム・ハトリー。「まるで舞台装置がダンサーと共に踊っているみたい」とアコスタに評されたように、舞台装置が動くことで場面転換がスムーズに行なわれ、まるで本のページをめくるように物語が進んでいきます。
<若手中心ながら要所にはベテランを配した、綺羅星のような出演陣>
ヒロインの町娘キトリを演じるのは、2011年にローザンヌ国際バレエコンクールで優勝したマヤラ・マグリ。高度なテクニックを持ちながらも、近年は『ザ・チェリスト』で夭折の天才チェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレ役や、『赤い薔薇ソースの伝説』では敵役ともいえるヒロインの姉役を陰影のある演技で好演しました。ブラジル出身ならではの天性の明るさと安定した技巧がこの役にぴったりです。夢の場面での、一転してエレガントで軽やかなドルシネア姫との演じ分けにもぜひご注目してみてください。
キトリの恋人、床屋のバジルは人気の高い英国出身のマシュー・ボールが演じます。端正な容姿で、マシュー・ボーンの『白鳥の湖』では男性の白鳥を演じるなど様々な舞台にチャレンジしているボールは、私生活ではマグリとカップルで、二人の息はぴったり。コミカルな掛け合いが自然で、片手リフトなどのパートナーリングも見事に決まり、最後のグラン・パ・ド・ドゥではダイナミックな跳躍を見せています。
伸び盛りの若手ダンサーを発見できるのも、シネマシーズンならではのお楽しみです。街の人気者の闘牛士エスパーダをスタイリッシュに色気たっぷりに演じているのは、人気上昇中の若手ファースト・ソリスト、カルヴィン・リチャードソン。『くるみ割り人形』では王子を踊り、『マノン』では主役の一人デ・グリュー役を演じる予定になっているなど、次期プリンシパル有力候補です。小粋な街の踊り子役には今シーズン『くるみ割り人形』の金平糖の精役にデビューしたレティシア・ディアス。夢の場面で優雅な踊りを見せる美しいプロポーションのアネット・ブヴォリも、同じく金平糖の精の他、『シンデレラ』の仙女や『ジゼル』のミルタ役などの主要な役を経験し、次世代のスターとして注目されています。
キトリの二人の友人役には、日本出身で今シーズンはソリストに昇進し躍進が期待される前田紗江と、『ドン・キホーテ』に続くシネマシーズンの『くるみ割り人形』でクララ役を演じる若手のソフィー・アルナットが起用されています。伸びやかで小気味よい踊りの前田、愛らしいアルナットの二人は踊りも見事にシンクロしていて、作品にキュートなスパイスを加えています。ドン・キホーテの従者サンチョ・パンサ役は、これまた注目の若手のリアム・ボズウェルが初役で挑みました。
これら若手ダンサーの活躍と共に、作品を引き締めるのは、ドン・キホーテ役を演じるバレエ団を代表する名役者ギャリー・エイヴィスです。日本のKバレエ・カンパニーの創立メンバーでもあったエイヴィスは、ロイヤル・バレエに復帰後、数々のキャラクターロールで名演を重ねてきました。現在はシニア・レペティトゥールとして振付指導を行いながらも、舞台では強烈な存在感を放っています。バレエ『ドン・キホーテ』でタイトルロールは脇役として見られがちですが、エイヴィスの気品あふれる演技によって、高潔な人格を持つロマンティックな老紳士としてのキホーテのキャラクターが立ち上ってきます。
また注目したいのが、キトリに求婚する金持ちの貴族、ガマーシュをジェームズ・ヘイが演じていること。磨かれたクラシック技術を持ち、『眠れる森の美女』では王子を演じるなど貴公子役も得意とするヘイが、嫌味で少し間の抜けた貴族役をユーモラスに演じる姿が見られる、希少な機会となっています。最後にガマーシュも新しい幸せをつかむところが、アコスタの優しさを感じさせる心憎い演出です。
なお、今回のシネマで上映された公演には、英国王チャールズ3世とカミラ王妃も臨席し、彼らが客席から拍手で迎えられる場面も見ることができます。シネマシーズンで中継された公演に英国王が臨席するのは初めてのことでした。チャールズ国王はロイヤル・オペラハウスのパトロンとして支援をしており、カミラ王妃は自身も大人バレエを習っているバレエ好きとして知られています。憂鬱な気分を吹き飛ばし、ひと時の笑いと興奮と情熱に身を任せることができる至福の3時間。ロイヤル・バレエが誇るトップダンサーたちの華麗な饗宴をぜひお楽しみください。