石川了(音楽・舞踊プロデューサー)
<史上最強のプレイボーイ=ドン・ジョバンニ>
モーツァルトの『ドン・ジョバンニ』といえば、イタリアで640人、ドイツで231人、スペインで1003人の女性をモノにした(と歌われている)史上最強のプレイボーイ、ドン・ジョバンニが主人公。いきなりレイプシーン!から始まり、最後は主人公の地獄落ちで終わるというドラマもなかなかすごい。
こんな不道徳な内容なのに、1787年プラハで初演されて以来、今もなお世界中で上演される人気の理由は、何と言ってもモーツァルトの音楽だ。2幕構成で3時間弱という少し長いオペラだが、有名な「序曲」に始まり、「カタログの歌」「手を取り合って」「彼女の心の安らぎこそが」「シャンペンの歌」「ぶってよマゼット」「セレナード」「薬屋の歌」「あの恩知らずは私を裏切り」「私の恋人を慰めて」、そして映画『アマデウス』でも印象的な「地獄落ち」の音楽など、こんなにたくさんのポピュラーなアリアや重唱が登場するオペラは他にはないだろう。
登場人物のキャラクターも魅力的。主人公のドン・ジョバンニは、「年齢も体型も肌色も関係なく、全ての女性を平等に愛する」男性。身分が高く金持ちで、容姿もばっちり、たぶん人間も大きい。手癖が悪い以外は、あらゆる女性を虜にする、まさに理想の男性といえるかもしれない。
面白いのは彼を巡る3人の女性たちで、この公演ではとても興味深い描かれ方をしている。いきなりレイプされるドンナ・アンナは復讐に燃えるのだが、それでもドン・ジョバンニに惚れているとしか見えないし、婚約者ドン・オッターヴィオには見向きもしない。ツェルリーナはもっと小悪魔で、自分からドン・ジョバンニに迫りながら、拗ねた夫マゼットとよりを戻すためにあの手この手を尽くす。ドンナ・エルヴィーラの愛はストレートだが、少しストーカー的と言えるのではないだろうか。
演出は、英国ロイヤル・オペラの前オペラディレクター、カスパー・ホルテン。当プロダクションは2014年2月に初演され、この映像は4回目の再演を収録したもの。2015年の同歌劇場来日公演でもお披露目されたので、リアルでご覧になった方も多いだろう。
その来日記者会見で、演出家はドン・ジョバンニを「彼が恐れるのは、地獄の炎ではなく孤独である。孤独を恐れるがあまり、彼はあらゆる女性を誘惑し現実を忘れようとしているのだ」と解釈していた。そんなドン・ジョバンニの地獄落ちはどのように描かれるのか。人間の偽善や存在の脆さが浮かび上がる、シェイクスピアの国ならではの演劇的な舞台が展開する。
また、オペラから映画、ファッションまで幅広いジャンルを横断する舞台デザイナーで、アデルやビヨンセ、カニエ・ウェスト、レディ・ガガ、U2といった多くのミュージシャンのクリエイティブ・ディレクターとしても活躍するエス・デヴリンの装置も見どころ。
ぐるぐる回転する二階建ての白い建物と、そこに投影されるプロジェクション・マッピングは来日公演でも話題を呼んだが、それは映像で観ても迫力満点。プロジェクション・マッピングを手掛けたのはロンドン五輪閉会式の映像クリエイティブ・ディレクター、ルーク・ホールズ。
タイトルロールを演じるウルグアイ出身のアーウィン・シュロットは、現代最高のドン・ジョバンニの一人と言われている。歌姫アンナ・ネトレプコのハートを射止め(現在は離婚)、そのエキゾチックで精悍な顔立ちと男の色気を醸し出す立ち姿、そして深みのあるバリトンヴォイスは、見た目も声もドン・ジョバンニそのものだ。スクリーンにアップで映るシュロットの憂いのある瞳と表情も、女性からすると堪らないだろう。
オペラを一度でいいから観てみたいが、値段も敷居も高いと思っている方には、映画館でのオペラ映像体験がその第一歩として最適ではないだろうか。値段はお手頃だし、臨場感あふれる音響も映画館ならでは。さらに劇場では見えにくい歌手たちの表情も楽しめる。
「英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン」では、公演映像のみならず、指揮者・演出家・歌手などへのインタビューや作品解説、リハーサル風景もたっぷり追加され、オペラをできるだけわかりやすく鑑賞できるような創意工夫が嬉しい。
しかし、オペラはやはり生が一番。ロンドンに行った際にはコヴェント・ガーデンにお出掛けして、英国ロイヤル・オペラ・ハウスで生オペラを是非体験してみてほしい!